北見薄荷躍進の原動力 薄荷蒸溜釜

2014年1月30日(木)カテゴリー:

明治32年小山田利七が故郷の山形県から天水釜式蒸溜器を持ち帰り蒸留したのが北見薄荷蒸溜の歴史の始まりである。

大正2年冷却管が蛇管に改良され大正中期まで使われた。大正8年箱せいろ式蒸溜釜が考案され、天水釜式より容量が大きく、冷却の効率が良くなったことで、一度に多くの取卸油(とりおろしあぶら)がとれるようになり薄荷栽培の普及に弾みがついた。

昭和初期の薄荷産業ピーク期を支えた蒸溜釜は、昭和5年特許取得の「田中式蒸溜釜」であった。

開発した田中篠松は明治24年岐阜県総社村に生まれた。 18歳で北海道中川町の「中川帝室御料林」に小作として入植し薄荷栽培に関わった。

功績をあげ昭和3年野付牛(現北見市)の助役、那須嘉市の斡旋で北見の川東地区に自作農として入植した。

その後端野町忠志で薄荷栽培のかたわら蒸溜釜の研究を重ね、「田中式蒸溜釜」を完成させた。

昭和32年には改良された56型、57型が製造された。

高さ1.4メートル、底辺1.5メートル、上辺1.35メートルの円筒型の釜に、円錐の上蓋を帽子のようにかぶせ冷却器へつながる導管に蒸留気が集中するようになっている。

箱せいろ式蒸溜釜の蒸留気が漏れる欠点を改良することでそれまでより約3倍の取卸油が取れるようになり、北見薄荷の躍進に大きく貢献した。

天水釜は上仁頃(かみにころ)美里開拓資料館、箱せいろ式は端野歴史民俗資料館、田中式は北見ハッカ記念館横の蒸溜館、仁頃のはっか公園横の北見田園空間情報センター蒸留実演小屋、端野のペパーミントハウスに展示している。

薄荷蒸し「素蒸気蒸溜法」と取卸油

薄荷草の中に蓄えられた油(香り成分)に高温の水蒸気を通すと、油と水と蒸留気(混合気)ができる。

これを冷却水で冷やすと油と水に分離され比重の違いから油が上にとどまる。 この工程を「取卸(とりおろし)」といい、油を「取卸油(とりおろしあぶら)」という。ここまでの作業が薄荷農家の仕事であった。

日本の蒸溜法は省エネ型

海外では刈り取った薄荷草は1~2日畑においてすぐに蒸留する。

日本では2~3週間ハサ掛けして乾燥させる。乾燥することで体積が4分の1ほどになり、1度に多くの薄荷草を蒸留することができ、その結果、燃料が節約され効率も高い。

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